人から感じた寂しい気持ちと温かい気持ち

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August 16, 2021

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この記事は、「テーマ別上級で学ぶ日本語」教科書の宿題です。全部、または一部の内容は架空であり、現実を正しく反映するものではありません。

宿題:ぎすぎすした人が多いなと感じることがありますか。それはどんな時ですか。最近、温かい気持ちになったことがありますか。それはどんな時でしたか。

ぎすぎすした人が多いなと感じたことがあります。他人同士だから簡単になれなれしくなるわけがないのがわかっていますが、時々思わずそう思ってしまうことがあります。例えばマンションの廊下を通る時、偶然近所の人とすれ違う時がありました。多分買い物された後戻ってこられたばかりだと思いました。そこで「あ、こんにちは!」と私が先に挨拶しました。けれど、挨拶の言葉を返してくれず、軽い会釈すらしてもらえず、無言で自宅に入られました。どれだけドン引きになったと思われるでしょうか。普段なんの接触もないから仕方ないと思いながらも、「つれないなー」とつい口に出してしまいました。もう一つの時は、空港に行く時でした。荷物がとても多くて、大きくて、頑張ったら辛うじて持ち運べるところでした。電車に乗り降りの時は大変でした。それにもかかわらず、周りの人たちに誰も手伝いを申し出てくれませんでした。見ないふりをされているか、単に気付かないか、私みたいな人が日常茶飯のように毎日いるからなんとかするのは当然なのか、理由がわからず頭の中で察するしかなかったです。そういう時に、この世界がぎすぎすしている、世知辛い世の中だと、どうしても思い込んでしまうでしょう。

移動中でどれだけ荷物が多くても、自分でなんとかするしかないことが多いような、、?

移動中でどれだけ荷物が多くても、自分でなんとかするしかないことが多いような、、?

ただ、ぎすぎすした人が多いなと感じてばかりのことではありません。温かい気持ちになったこともあります。例えば引っ越ししたの時でした。新しいところに引っ越しした後、前にいたところと違って、今回はきちんと小さな手土産を用意して、近所の人に挨拶に行きました。相手に迷惑かも?と思いながら挨拶していたら、思ったより笑顔で気さくで会話してくれました。「プレゼントありがとう」とお礼も言ってくれました。そして後日、近所の人にプレゼントをもらいました。この間のお返し、と言いながらお菓子を渡してくれました。その時私は「もし前のところに引っ越した後挨拶しておいたら良かったのでは」と思いました。人がつれないか温かいかどうかは、自分の行動によって変わりうるものでしょう。もう一つの時は通勤中の時でした。歩いている最中に不注意で転んでしまって、カバンを落としてカバンの中にあるものが飛び散ってしまいました。全部拾うしかないと覚悟しましたが、周りにいる人たちがいつの間にか素早く拾って返してくれました。礼をまだ言えない間に、「大丈夫?気をつけてね!」と聞いて、私が「大丈夫です」を言うまで待ってくれました。空港に行く時と違って、今回は周りに助けてもらって、とても温かい気持ちになりました。今でも「どうして違うのか」と不思議に思う時があります。多分、明らかに困っているように見える時には助けてもらえるだろうな、と思います。

明らかに困っているように見えたら、助けてもらえることも多いかもよ!

明らかに困っているように見えたら、助けてもらえることも多いかもよ!


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